「路上のゴミは、自身を取り巻くサイクルから脱出している。」
この仕組みをあてはめることで、展覧会の構造を更新することは可能ではないのかと考えました。
この展覧会では、顔の描かれた路上のゴミがこの部屋を中心に一定範囲で存在します。
そして、その一定の場と対比させる形で会場としての部屋が存在しています。
今日まで続く展覧会は、作品と、その鑑賞者をある側面から制限していると考えています。
それは、壁を白く塗り、可能な限り現実の空間をシャットアウトさせた空間に訪れるという意味での作品鑑賞では、事前に鑑賞者が一定の情報を知っていないと、そもそも展示空間に辿りつくことも鑑賞することもできないということです。
この部屋に置かれている日用品たちも、顔の描かれた路上のゴミ達も、作品ではありません。
作品とは、展覧会が行われなくとも、それ自体が作品として自律しているものであると私は考えています。
今回、私が提示するものは、作品の周囲を取り囲む展覧会という制度を考え直すことで、作品として自律せず、一つの展覧会として自律します。
今回、私が提示する展覧会は、不特定多数の人がゲリラ的に美術鑑賞をしたりしなかったりするというものです。
それは、本当の意味で、誰もが鑑賞者になり得る空間を作るということです。